44119 ミディのマグマを作ったもの その1 ミディ 2007/04/29 11:41
女性 学生 26歳 O型 愛知県
小学生の頃は食が細くて、祖母に無理矢理たべものを口に運ばれて、
食べさせられていました。
それが中学生になり、運動部に入ったことで自然と食欲が増進、
何でも食べるようになり、毎日夕食のあとはポテトチップや板チョコなど、
お菓子も一袋単位で食べていました。父や祖母はとても喜びました。
どんどん筋肉質になって健康的になって、長距離走も学校で一位、
部活でもレギュラー、勉強も学年トップ10には入っていたと思います
。私の栄光時代でした。
でも、周りからいじめられていた時期でもありました。
私は、勉強や運動ができることに何の意味があるのか、いつも考え
てきました。父は高学歴ながら無職でした。母は短大出でしたが
安定した職を持っており、一家の大黒柱です。
それでも無学だからといって、母は特に祖母から馬鹿にされていました。
中学生の時から、頭がよくたって生活力が無ければ人としてダメなん
じゃないだろうかと思うようになっていました。
私は父親も好きでなくなりました。
小さい頃は「おばあちゃん子」だったので、当然のように私は母を
馬鹿にし、嫌いました。母はそんな私を嫌いだったと思います。
気に入らないことがあると母は頭をぶちます。
今でもよく思い出しますが、その頃は、誰かが腕を少しでも動か
すと私はびくっとして頭をかばおうとする、そういう癖がついていました。
土曜日、たまに家族で夕飯を食べると、嫁姑の大喧嘩が始まります。
母は味噌汁の椀をふすまに投げつけたり、家を出て行こうとしました。
私は泣いても、祖母は「この子(ミディ)には私がいますから、
あんたなんかどこへ行っても結構」と私を抱きとめ、悪く言えば私を
自分のものにすることに必死でした。
私が母と本当に真剣に向き合えたのは、高校生になってからです。
そこでさんざん父と祖母の悪口や、母の辛かった体験を聞きました。
私は祖母が大嫌いになり、今度は祖母から
「小さいころはかわいかったのに」とか「ミディちゃんはすっかりお母さん
派になっちゃったのねぇ」と嫌味を言われるようになりました。
そんな祖母は今でも大嫌いです。
母は私が小さいころからずっと仕事を持っていて家におらず、
私を育ててくれたのは本当に祖母なのに、私は祖母が嫌いです。
本当は口を利くだけで嫌気がさします。
和解は絶対にできないと思っています。
母は今、私を手放したくないと思っているようです。
母は祖母と仲が悪く、父の子とも愛してはいません。
長年の仕事の疲れでリウマチを患った母は、足が悪く、
父がいないとどこへも出かけられない。
だからしかたなくくっついているようなものなのです。
母は勉強の出来る私が好きです。優等生のミディが母の誇りです。
そのくせミディがどんなに頑張っても「あなたなら当然よ」と褒めては
くれません。そのかわり、他人の子がどこかの大学に入学したと聞く
と、大学名がどこであろうととにかく褒めます。
「すごいわねぇ。~ちゃん、○○大学へ入学するんですって」
私はそういう言葉を聞くたびに嫌な気持ちがします。
その子の親になればよかったね、と言います。
そして悲しい気持ちで「私は母さんの思い通りになれなくてごめんね」
と言います。母は私を庇います。「あんたは頑張ったわよ」。
私は一度就職し摂食障害を気に病んで会社を辞めました。
今、大学院に通っています。それは母を喜ばせるため。
母は私が勉強すると喜びました。将来は大学教授にでもなって
欲しいのでしょう。
「教授とのつながりはもっと大事にしなさい、もっと積極的になりなさ
い。あんたがこんなに引っ込み思案なんて子育てに失敗したわ。
私が目立たないように死なさいって育てちゃったのよね」と言います。
その通りです。私は母に「能或る鷹は爪を隠す」という生き方を
小学生の頃から奨励されていました。
母に言わせれば、それが今私をダメにしているのだそうです。
でも私には「能」はないんだということには未だに気付かないのです。
母の目は節穴です。幻想を抱えて私に接しています。
私はせめてもの親孝行のために、その幻想に付き合っています。
本当は大学院なんか行きたくない。
こうして掲示板に書き込みをしていると、やっぱり私の過食の原因は
家庭にあるな、と思います。
私の家庭は、本来あるべきものではなかった。
両親は結婚しなければよかったのです。
そうすれば、父も母もそれぞれの人生を幸福に歩んできたと思います。
どうして離婚しないのか、それもお互いの打算のためです。
無職の父は母がいないと生活していけないし、身体の不自由な母
は生きていくための補助具が必要なのです。
そして、私は弱いので、その両親から離れられない。
勘当や絶縁になるのはやっぱり悲しいので、だから大学院に通っています。
本当は何もやりたくない。勉強も仕事も何にもやりたくないのに、
この世に存在する、存在することに価値ある人でいるためにはそれを
やらなければなりません。私には何にも夢がありません。
書きながら悲しくなりました。これがマグマなのかな。
過食の衝動が溢れてきます。こういう時、何をしたらいいんだろう。
寝ちゃうのがいいのかな、それとも食べていいのだろうか。
そんなはずはない。
昨日、「美しいゼリー」というのを買いました。一つ30キロカロリー
くらいで、アミノ酸とコラーゲンが入っているのだそうです。
今日はそれを食べます。綺麗になりたいです。
長々と書いてしまいました。
私のマグマを読んで気落ちした方、申し訳ありません。
でもここまで読んでくださってありがとうございます。
一緒にこの病気と闘おうとしているみなさん、大好きです。
女性 学生 26歳 O型 愛知県
小学生の頃は食が細くて、祖母に無理矢理たべものを口に運ばれて、
食べさせられていました。
それが中学生になり、運動部に入ったことで自然と食欲が増進、
何でも食べるようになり、毎日夕食のあとはポテトチップや板チョコなど、
お菓子も一袋単位で食べていました。父や祖母はとても喜びました。
どんどん筋肉質になって健康的になって、長距離走も学校で一位、
部活でもレギュラー、勉強も学年トップ10には入っていたと思います
。私の栄光時代でした。
でも、周りからいじめられていた時期でもありました。
私は、勉強や運動ができることに何の意味があるのか、いつも考え
てきました。父は高学歴ながら無職でした。母は短大出でしたが
安定した職を持っており、一家の大黒柱です。
それでも無学だからといって、母は特に祖母から馬鹿にされていました。
中学生の時から、頭がよくたって生活力が無ければ人としてダメなん
じゃないだろうかと思うようになっていました。
私は父親も好きでなくなりました。
小さい頃は「おばあちゃん子」だったので、当然のように私は母を
馬鹿にし、嫌いました。母はそんな私を嫌いだったと思います。
気に入らないことがあると母は頭をぶちます。
今でもよく思い出しますが、その頃は、誰かが腕を少しでも動か
すと私はびくっとして頭をかばおうとする、そういう癖がついていました。
土曜日、たまに家族で夕飯を食べると、嫁姑の大喧嘩が始まります。
母は味噌汁の椀をふすまに投げつけたり、家を出て行こうとしました。
私は泣いても、祖母は「この子(ミディ)には私がいますから、
あんたなんかどこへ行っても結構」と私を抱きとめ、悪く言えば私を
自分のものにすることに必死でした。
私が母と本当に真剣に向き合えたのは、高校生になってからです。
そこでさんざん父と祖母の悪口や、母の辛かった体験を聞きました。
私は祖母が大嫌いになり、今度は祖母から
「小さいころはかわいかったのに」とか「ミディちゃんはすっかりお母さん
派になっちゃったのねぇ」と嫌味を言われるようになりました。
そんな祖母は今でも大嫌いです。
母は私が小さいころからずっと仕事を持っていて家におらず、
私を育ててくれたのは本当に祖母なのに、私は祖母が嫌いです。
本当は口を利くだけで嫌気がさします。
和解は絶対にできないと思っています。
母は今、私を手放したくないと思っているようです。
母は祖母と仲が悪く、父の子とも愛してはいません。
長年の仕事の疲れでリウマチを患った母は、足が悪く、
父がいないとどこへも出かけられない。
だからしかたなくくっついているようなものなのです。
母は勉強の出来る私が好きです。優等生のミディが母の誇りです。
そのくせミディがどんなに頑張っても「あなたなら当然よ」と褒めては
くれません。そのかわり、他人の子がどこかの大学に入学したと聞く
と、大学名がどこであろうととにかく褒めます。
「すごいわねぇ。~ちゃん、○○大学へ入学するんですって」
私はそういう言葉を聞くたびに嫌な気持ちがします。
その子の親になればよかったね、と言います。
そして悲しい気持ちで「私は母さんの思い通りになれなくてごめんね」
と言います。母は私を庇います。「あんたは頑張ったわよ」。
私は一度就職し摂食障害を気に病んで会社を辞めました。
今、大学院に通っています。それは母を喜ばせるため。
母は私が勉強すると喜びました。将来は大学教授にでもなって
欲しいのでしょう。
「教授とのつながりはもっと大事にしなさい、もっと積極的になりなさ
い。あんたがこんなに引っ込み思案なんて子育てに失敗したわ。
私が目立たないように死なさいって育てちゃったのよね」と言います。
その通りです。私は母に「能或る鷹は爪を隠す」という生き方を
小学生の頃から奨励されていました。
母に言わせれば、それが今私をダメにしているのだそうです。
でも私には「能」はないんだということには未だに気付かないのです。
母の目は節穴です。幻想を抱えて私に接しています。
私はせめてもの親孝行のために、その幻想に付き合っています。
本当は大学院なんか行きたくない。
こうして掲示板に書き込みをしていると、やっぱり私の過食の原因は
家庭にあるな、と思います。
私の家庭は、本来あるべきものではなかった。
両親は結婚しなければよかったのです。
そうすれば、父も母もそれぞれの人生を幸福に歩んできたと思います。
どうして離婚しないのか、それもお互いの打算のためです。
無職の父は母がいないと生活していけないし、身体の不自由な母
は生きていくための補助具が必要なのです。
そして、私は弱いので、その両親から離れられない。
勘当や絶縁になるのはやっぱり悲しいので、だから大学院に通っています。
本当は何もやりたくない。勉強も仕事も何にもやりたくないのに、
この世に存在する、存在することに価値ある人でいるためにはそれを
やらなければなりません。私には何にも夢がありません。
書きながら悲しくなりました。これがマグマなのかな。
過食の衝動が溢れてきます。こういう時、何をしたらいいんだろう。
寝ちゃうのがいいのかな、それとも食べていいのだろうか。
そんなはずはない。
昨日、「美しいゼリー」というのを買いました。一つ30キロカロリー
くらいで、アミノ酸とコラーゲンが入っているのだそうです。
今日はそれを食べます。綺麗になりたいです。
長々と書いてしまいました。
私のマグマを読んで気落ちした方、申し訳ありません。
でもここまで読んでくださってありがとうございます。
一緒にこの病気と闘おうとしているみなさん、大好きです。